あの2022年ルヴァンカップ決勝の夜、ピッチで佐々木翔と抱き合って号泣していた姿を、広島サポーターは一生忘れないと思います。
柏好文——通称「カッシー」が、ヴァンフォーレ甲府のクラブアンバサダーに就任しました。故郷・山梨に生まれ、甲府でプロキャリアをスタートし、広島で11年を過ごし、そして最後は地元・甲府でユニフォームを脱いだ。その人生の軌跡そのものが、彼の新しい仕事の説得力になっています。

広島での11年が残したもの
2014年、甲府から広島に移籍した時、柏好文は26歳でした。
「鉄人ウイングバック」と呼ばれるようになるまでには、時間がかかりました。しかし一度ポジションをつかむと、彼は手放しませんでした。J1通算350試合出場・32得点。ウイングバックという守備的な役割をこなしながら、2019年にはチーム最多の8ゴールを記録しています。
2015年のJ1チャンピオンシップ決勝。ベンチスタートから途中出場し、1ゴール1アシストでマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍。優勝を決定づけたその夜の柏好文は、間違いなく「持っている選手」でした。
そして2022年のルヴァンカップ優勝。クラブ史上初のカップタイトルをつかんだあの瞬間、彼は佐々木翔と抱き合って泣いた。その涙は、8年間積み上げてきたものの重さそのものでした。
広島のサッカーが「3バック×ウイングバック」を軸に構築されてきたのは周知の事実ですが、そのウイングバック像を長年体現し続けたのが柏好文でした。彼がいたからこそ、後継の選手たちが「このポジションはこうやって戦う」という基準を持てたのではないでしょうか。
「もう少し紫で見ていたかった」
正直に言えば、広島サポーターの多くが2024年末の契約満了を惜しんだはずです。
確かに出場機会は減っていました。2024年シーズンはJ1リーグで6試合の出場にとどまりました。それでも、あの経験値と戦術理解は、チームの財産だったはずです。スキッベ体制からガウル体制への移行期に、あの柏好文の落ち着きがピッチにあれば——と思わずにはいられません。
「もう少し紫で見ていたかった。」
それがファンとしての偽らざる気持ちです。
難病との闘い、そして最後の1試合
甲府に復帰した直後の2025年1月、柏好文は「ヴォークト・小柳・原田病」という難病にかかっていることを公表しました。ぶどう膜炎などを引き起こすこの病気は、全治約3カ月とされましたが、プロアスリートにとってその影響は計り知れません。
それでも彼は戻ってきました。
シーズン終盤、J2のピッチに立った1試合。数字だけ見れば「今季1試合出場」かもしれません。でもその1試合に、どれだけの意味があったか。難病と向き合いながら、それでもサッカーをする姿で、カッシーは最後まで「戦う男」でした。
2025年11月28日、38歳で現役引退を発表しました。
次のステージへ——地域と育成に還元する日々
クラブアンバサダーとして甲府の地域活動を担い、母校・韮崎高ではロールモデルコーチとして育成年代の指導にあたります。
「サッカーの枠を超えて社会に必要とされる存在を目指していく」——就任コメントにあるこの言葉は、11年間広島で磨いた人間力がなければ出てこない言葉だと思います。甲府というクラブの顔として、山梨の子どもたちのロールモデルとして、柏好文は次のステージで新たな足跡を刻もうとしています。
韮崎高といえば、中田英寿を輩出した山梨が誇るサッカーの名門校です。その地で、広島仕込みの戦術眼と精神力を次世代に伝えていく——こんなに頼もしいロールモデルはいないでしょう。
まとめ:紫の魂は、広島に残っている
カッシーが甲府の地で新たなキャリアを歩んでいくことは、純粋に嬉しいことです。でも同時に、広島サポーターにとって彼は永遠に「紫の選手」です。
11年間、3バックのウイングバックとして駆け抜けた168cmの男が残した言葉——「もっともっと広島を愛してもらえるように」——在籍中に語っていた彼の言葉は、今も広島のスタジアムに漂っている気がします。
甲府での新たな挑戦を、心から応援しています。
