83分、パナソニックスタジアム吹田。
宇佐美貴史がゴール左隅を狙ってシュートを放った瞬間、背番号33はすでにそこにいました。
塩谷司。GK大迫敬介の背中に隠れるようにスーッと移動し、宇佐美のコースを読み切っていた。飛び込んだのではありません。まるでパスを受けるかのように、冷静にボールの軌道に身体を合わせてクリアした。忍者のような動きです。
大迫も反応できなかったコースでした。あの一瞬が、1-0の勝利を守り抜いたと言っても過言ではありません。
試合後、塩谷選手は足を痛めて交代を余儀なくされましたが、「肉を食べて、良いワインを飲んだら治ると思います」と冗談を口にしています。37歳のベテランの余裕——いや、これはもう「格」です。
J1 3度のリーグ優勝を知る、最後の男
サンフレッチェ広島がJ1リーグを3度制覇した年を覚えていますか。2012年、2013年、2015年。あの黄金時代です。
塩谷司は、その3度の優勝すべてに在籍した選手です。
2012年8月、水戸ホーリーホックからシーズン途中で広島に加入しました。最初はバックアップ。でも翌2013年からは3バックの一角として定位置を掴み、2015年の3度目の優勝まで、森保一監督のもとで黄金期を支え続けました。2012年と2013年の連覇、そして2015年の優勝——3度のJ1制覇を現役で経験しています。
今の広島の選手で、あの頂点を知っている人間がどれだけいるか。青山敏弘さんはコーチとしてベンチにいます。でもピッチの上で「J1優勝の味」を知っているフィールドプレーヤーは、もう塩谷司だけかもしれません。
その重みは、計り知れないと思います。
37歳で1,314分——フィールドプレーヤー最上位クラスの出場時間
数字を見てください。
2026シーズンのJ1百年構想リーグ、第16節終了時点で塩谷の出場記録はこうなっています。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 出場試合 | 16試合 |
| 出場時間 | 1,314分 |
| 年齢 | 37歳 |
16試合のうち、ほぼすべてにフル出場に近い時間ピッチに立っています。37歳のセンターバックが、フィールドプレーヤーでチームトップクラスの出場時間を記録している。
これは、ただ長く在籍しているから出ているのではありません。ガウル監督が毎試合、塩谷を必要としているということです。
普通、37歳の選手にはローテーションがかかります。コンディションを管理して、大事な試合に絞って起用する。でも塩谷は違います。毎試合、先発です。毎試合、90分近くプレーしています。
なぜか。
答えはシンプルです。代わりがいないから。
ボランチの目を持つセンターバック
塩谷司のプレーを見ていて、僕がいつも驚くのは、パスの質です。
もともと国士舘大学時代はボランチや左サイドMFとしてプレーし、4年時にセンターバックへコンバートされました。中盤の選手として磨いたそのキャリアの原点が、今のプレースタイルに色濃く残っています。
センターバックとしてのデュエルの強さ、対人守備の堅さは言うまでもありません。182cm・81kgの体格を活かした空中戦、ゴール前での身体を張ったブロック——G大阪戦の宇佐美シュートブロックがまさにその象徴です。
でも塩谷の真価は、ボールを奪った後にあります。
相手の守備ラインの裏を突く、鋭い縦パス。 ビルドアップの起点となり、一本のパスで局面を変えてしまう。これは普通のセンターバックにはできない芸当です。ボランチの目を持っているからこそ、守備と攻撃の「切り替えポイント」が他のDFより一段階速い。
サッカーダイジェストの評にこうあります。
「対人の強さに加え、タイミングの良いスルーパスで好機を生み出し、パスセンスとパンチ力も併せ持つ」
まさにその通りです。センターバックとボランチ、両方をこなせるポリバレントな能力。37歳になっても、その引き出しは一向に減る気配がありません。
アルアインで見た世界——レアル・マドリードとの決勝
塩谷のキャリアを語る上で、UAEのアルアイン時代(2017年〜2021年)を避けて通ることはできません。
FIFAクラブワールドカップ2018。 アルアインは下馬評を覆し、決勝まで勝ち上がりました。塩谷は4試合フル出場、2得点。そして決勝の相手は——レアル・マドリードです。
結果は1-4の敗戦でしたが、世界最高峰のクラブと公式戦で戦った経験を持つ日本人選手は、そう多くはありません。セルヒオ・ラモス、ルカ・モドリッチ、ガレス・ベイル……彼らと同じピッチに立った37歳が、今もJリーグの最前線でプレーしているのです。
日本代表としても、AFCアジアカップ2019に出場しています。森保ジャパンで5試合に起用され、ウズベキスタン戦では代表初ゴールも決めました。
国内のタイトル、海外でのキャリア、国際舞台での経験。塩谷司の経験値は、今の広島にとって替えの利かない財産です。
ガウル監督との関係——「一緒に良いものを作っていこうとしている」
2012年に広島に加入してから、途中アルアインでの4年間を挟みながらも、塩谷は6人の監督のもとでプレーしてきました。
森保一、ヤン・ヨンソン、城福浩、沢田謙太郎、ミヒャエル・スキッベ、そしてバルトシュ・ガウル。
面白いのは、38歳のガウル監督が、塩谷と最も年齢が近い指揮官だということです。
塩谷はこう語っています。
「本当に一緒に向上させていこうという姿勢をすごく感じますし、一緒に良いものを作っていこうとしている。僕としては、もうちょっと『こうしてくれ』と言ってくれてもいいと思うこともありますけど、みんなの意見を聞いてくれるのは有難いこと。年齢に関係なく、良いコミュニケーションを取りながらやれていますね」
このコメントから伝わるのは、対等なパートナーシップです。監督と選手という上下関係ではなく、「一緒に作る」という意識。ガウル監督がドイツのレッドブルグループで培った「選手の自主性を重んじる」フィロソフィーと、塩谷の「言うべきことは言う」ベテランの姿勢が、うまく噛み合っているのだと思います。
さらに、すぐ近くには長年共闘した青山敏弘コーチがいます。現役時代に広島の黄金期を一緒に築いた盟友が、今はコーチとして監督と選手のつなぎ役を担ってくれている。この関係性も、塩谷にとっては大きいはずです。
「迷うシーンが減ってきている」
ガウル体制4か月。2月の開幕から、チームは決して順風満帆ではありませんでした。
3月〜4月に4連敗。GWにも3連敗。新しいサッカーを構築する過程で、苦しい時期が続きました。
でも塩谷は、そこに前向きな変化を感じ取っています。
「やっぱり日本人特有だと思いますけど、『つなごう』といったら、それしかできなくなっちゃうところがある。その使い分けをしっかりさせていく必要があると感じました」
「今はつなぐ時なのか、蹴る時なのかという意思統一が、ここへ来て、良くなってきていると思います」
そして、こう言い切りました。
「序盤よりも迷うシーンが減ってきているので、少しずつ良くなっていると思います」
「迷うシーンが減ってきている」——この言葉の重みを、僕たちファンはしっかり受け止めたいと思います。3度のJ1優勝を経験し、レアル・マドリードと戦い、6人の監督のもとでプレーしてきた男が言う「良くなっている」は、ただの社交辞令ではありません。
本物の進化が、確かに起きているということです。
今がピーク。そしてこれからもピークは続く
37歳のセンターバックが、フィールドプレーヤートップクラスの出場時間を記録している。
37歳のセンターバックが、G大阪戦の83分に忍者のような読みで宇佐美のシュートをクリアしている。
37歳のセンターバックが、「良いワインを飲んだら治る」と笑っている。
僕は思います。塩谷司の今が、ピークです。
サッカー選手にとって37歳は、普通なら衰えを語る年齢です。でも塩谷は「まだ良くなっている」という言葉を体現しています。経験がプレーの質に変換され、判断の速さが衰えを補い、そしてチーム全体を引き上げる影響力がますます増している。
ピークは、年齢で決まるものではないのかもしれません。
2026-27シーズン。サンフレッチェ広島がガウル体制のもとで本格的な飛躍を遂げるとき、その中心にいるのは間違いなく塩谷司です。山﨑大地を中心とした新しい最終ラインの「経験の柱」として。ガウル監督との「対等なパートナー」として。そして、優勝の味を知る唯一のフィールドプレーヤーとして。
背番号33。
この男が紫のユニフォームを着ている限り、サンフレッチェ広島にはまだまだ可能性があります。
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