2026年4月18日
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2026年4月18日、エディオンピースウイング広島。
試合前、スタジアムに黙祷が捧げられました。選手たちは喪章を付けてピッチに立ちました。ホームゴール裏には横断幕が掲げられていました。
「オヤジの築いた礎は広島のDNAとして続く。今西さん、ありがとうございました!」
サンフレッチェ広島 2-0 V・ファーレン長崎。
対戦相手・長崎の監督は高木琢也。今西さんが見出し、育てた男です。広島と長崎——世界でたった二つの被爆地のクラブが、「ピース」の名を冠したスタジアムで戦い、サポーターから「今西コール」が送られました。
今西和男さんが亡くなったのは、その2日前。2026年4月16日午前0時12分、肺炎のため広島市内の病院で。85歳でした。
サンフレッチェ広島の初代総監督にしてゼネラルマネージャー。「育成型クラブ」というサンフレッチェのDNAを、この人が作りました。森保一を発掘し、風間八宏を獲得し、高木琢也を口説き、久保竜彦を育てました。日本サッカーに「GM」という概念を根付かせた、元祖中の元祖です。
僕たちサンフレッチェのサポーターにとって、今西さんは「存在そのものがクラブの誇り」でした。
被爆の少年が、日本サッカーの礎を築くまで
1941年、広島市中区東平塚に生まれました。
1945年8月6日、今西さんは4歳でした。爆心地から約1.6km。自宅2階の窓際に座っていたとき、突然光が走り、家が崩壊しました。母親に引っ張り出され、牛田山の防空壕へ逃げました。頭や腕、足に大やけどを負い、左腕や左足にはケロイドが生涯残りました。
小学校では「やけどこぼれ」とひやかされたそうです。
でも、この人はそこで折れませんでした。
広島市立舟入高校でサッカーと出会い、東京教育大学(現・筑波大学)へ進学。1963年に東洋工業(現マツダ)蹴球部に入部し、JSL(日本サッカーリーグ)の「空前絶後の四連覇」(1965〜1968年)に貢献しました。1966年にはバンコクアジア競技大会で日本代表として3試合に出場しています。ケロイドのハンデを抱えた左足で、日本代表のピッチに立ったのです。
1969年、腰の故障で28歳にして現役引退。通算42試合。しかし、今西和男の本当の仕事は、ここから始まります。
「元祖GM」——日本サッカーの概念を変えた男
1982年、成績が低迷していたマツダサッカー部の再建を託されました。社業に専念していた今西さんが、10年以上ぶりにサッカーの世界に戻ってきました。
ここでの決断が、日本サッカーの歴史を変えます。
ハンス・オフトをコーチとして招聘したのです。
「現場はオフトが指揮し、今西はチーム全体をマネジメントする」——この分業制は、当時の日本サッカーにはなかった発想でした。今でいう「監督とGMの役割分担」を、今西さんは1984年の時点で実践していました。
1992年、Jリーグ発足。マツダSCはサンフレッチェ広島となり、今西さんは取締役強化部長兼総監督に就任しました。
そして1994年、Jリーグファーストステージ制覇。
この成功によって、「ゼネラルマネージャー」という言葉が日本のスポーツ界に定着しました。宮本恒靖JFA会長が追悼コメントで「日本サッカー界、そして日本スポーツ界におけるゼネラルマネージャーの役割を確立された」と述べた通りです。今西和男は、文字通り日本の元祖GMです。
しかも今西さんの仕事はクラブの中だけにとどまりませんでした。JFA強化副委員長としてトレセン制度の構築や世代別代表の強化にも尽力しました。田嶋幸三JFA名誉会長はこう語っています。
「今西さんの存在なくして今の日本サッカー、日本代表はありません。特に1997年の育成改革を進めてくださった。それが現在のヨーロッパで活躍する選手たちを生んだ原点です」
「サッカー選手である前に、良き社会人であれ」
今西さんを語るとき、この言葉を避けて通ることはできません。
「サッカー選手である前に、良き社会人であれ」
これがサンフレッチェ広島のDNAです。今西さんがクラブに植え付けた哲学であり、今もこのクラブの根底に流れている精神です。
今西さんは選手を見るとき、技術やフィジカルだけではなく、人間性を見ました。練習後に目を見て話を聞くか。チームメイトより先にバスに乗り込んで座らないか。Aチームの試合をちゃんと観ているか。
そういう「人としての姿勢」を、今西さんは誰よりも厳しく、そして温かく見ていました。
さらに今西さんは選手たちに試合やシーズン後の感想文の執筆、スピーチ練習を徹底させました。「話す、聞く、書く、読む」——サッカー選手としてだけでなく、社会人としての基礎力を鍛えたのです。この教育が、のちの森保一監督の指導者としての土台を作りました。
久保允誉・サンフレッチェ広島会長が追悼コメントで今西さんを「教育者」と表現したのは、まさにそういうことだと思います。
「才能を見出し、愛情を持って育て上げる。『サッカー選手である前に、良き社会人であれ』と説かれたその揺るぎない情熱が、『日本一の育成型クラブ』というサンフレッチェ広島のDNAとして深く刻まれています」(久保允誉会長)
森保一を拾った男
今西さんの「人を見る目」を語るうえで、最も象徴的なエピソードがあります。
森保一の発掘です。
長崎県の無名の高校生だった森保を、今西さんは長崎日大高校の下田規貴監督からの年賀状をきっかけに知りました。オフトを伴い長崎まで視察に行きました。
今西さんの評価はこうです。
「技術もスピードもフィジカルもない選手だったけど、運動量が豊富で視野が広いということで入団させました」
しかも、新人枠の5人はすでに埋まっていました。今西さんは子会社のマツダ運輸に入社させる形で、6人目として森保を採用したのです。
森保一本人がこう語っています。「あそこで今西さんに拾われていなければ、サッカーを続けられていたかどうかも分からない」
その森保が、今、日本代表の監督をしています。2026年夏のワールドカップに臨もうとしています。
今西さんが「練習後に目を見て話を聞く姿勢」に「ただ者ではない」と感じた二十歳前の青年が、日本サッカーの頂点に立っています。これが今西和男という人の、人を見る目です。
森保監督の追悼コメントが、すべてを物語っています。
「今西さんには言葉では表すことができないほどたくさんのことを学ばせていただき、そして成長させていただきました。サッカー選手や指導者としての立ち振る舞い以前に、社会人として人前に出て恥ずかしくないように、人としての根本的なことを教わりました」
「今夏のワールドカップも日本一丸で世界に挑み、今西さんが天国で誇らしく思えるようなサッカーをお見せできるよう邁進します」
今西さんが見出した人たち
森保一だけではありません。今西さんが発掘し、獲得し、育てた人たちのリストを見てほしい。
| 名前 | 主な経歴 |
|---|---|
| 森保一 | 現・日本代表監督 |
| 風間八宏 | 元川崎フロンターレ・名古屋グランパス監督 |
| 高木琢也 | 元日本代表FW「アジアの大砲」、現V・ファーレン長崎監督 |
| 久保竜彦 | 元日本代表FW |
| 横内昭展 | 元日本代表コーチ |
| 森山佳郎 | 元U-17日本代表監督 |
| 小林伸二 | Jリーグ複数クラブの監督 |
| 松田浩 | 指導者 |
一人のGMが、これだけの人材を日本サッカー界に送り出しました。選手だけではありません。コーチ、スタッフ、ドクター、マネージャー。「今西チルドレン」は日本サッカーの各所で今も活躍しています。
中でも高木琢也について、今西さんは生前こう語っていました。
「高木君はスピード、技術と優れたタイプではなかったが、努力を重ね、日本代表になった。私がかかわった中で、最もびっくりした選手」
その高木琢也が、2025年にV・ファーレン長崎をJ2からJ1昇格に導き、そして今西さんが亡くなった2日後にEピースで広島と対戦したのです。運命というほかありません。
川淵三郎さん(JFA相談役)の追悼コメントも印象的です。
「今西さんの訃報に接し、僕より早く逝ってしまうなんて、それはないよと言いたい気持ちです」
そして、こうも言いました。「人間性を鋭く見抜く目」を持っていたと。さらに川淵さんは、ハンス・オフト氏の日本代表監督推薦や岡田武史監督就任の進言も今西さんによるものだったことを明かしています。日本代表の歴史そのものに、今西さんの眼力が関わっていたのです。
FC岐阜での苦闘——報われなかった情熱
今西さんの人生を語るとき、FC岐阜の章を避けて通ることはできません。
2005年、今西さんは東海2部のFC岐阜にアドバイザーとして就任しました。広島でやったことと同じ、地域密着型のクラブづくりを岐阜でも実践しようとしたのです。翌年東海1部、翌々年JFL昇格を支え、2007年にゼネラルマネージャーに正式就任。J2参入を実現させました。
2007年12月、代表取締役社長を兼務します。しかし、広島とは環境が違いました。厳しい財政状況、行政の十分な協力が得られない中、今西さんは個人で1億5000万円の債務保証まで行って、クラブの存続に奔走しました。
2012年8月、引責辞任。Jリーグ側の要求で関係者パスを取り上げられ、一般観客席からの観戦しか許されなくなりました。
FC岐阜の公式サイトは追悼コメントでこう記しています。
「FC岐阜の創成期においてクラブ運営の中心を担い、Jリーグ参入に向けた体制構築およびクラブ基盤の確立に尽力されました。また、厳しい財政状況の中にあってもクラブの存続と発展に尽力されるとともに、地域に根差したクラブづくりを推進し、ホームタウン活動の充実を通じてFC岐阜の礎を築かれました」
広島で成功した「育成型・地域密着型」の哲学を、岐阜でも貫こうとした。でも、報われなかった。今西さんの人生には、こういう影の部分もあります。それでも今西さんは、サッカーへの情熱を最後まで失いませんでした。
今西さんはサンフレッチェだけの人ではありません。大分トリニータの黎明期にもアドバイザーとしてクラブ運営のノウハウを伝え、2002年W杯大分誘致にも協力しています。日本サッカーの裾野を広げるために、全国を飛び回った人でした。
今西さんと広島——「地方都市だからこそ、育成型で」
今西さんがサンフレッチェ広島に植え付けたもう一つの信念があります。
「広島という地方都市は、育成型のクラブを目指していかなければならない」
資金力で東京や大阪のクラブに勝てないことは、今西さんにはわかっていました。だから、人を育てることで勝とうとしました。スカウティングの目を磨き、若い選手を見出し、時間をかけて育てる。そのサイクルをクラブの文化にする。
この哲学は、2026年の今も生きています。
エディオンピースウイング広島で、ガウル監督のもとxGリーグトップクラスの攻撃サッカーを展開するサンフレッチェ広島。そのベースにあるのは、今西さんが30年以上前に蒔いた種です。
久保会長は追悼コメントの最後にこう述べました。
「エディオンピースウイング広島という新たな舞台で躍動する選手たちの姿を、これからも末永く見守っていただきたかったと誠に残念でなりません」
Eピースの完成を、今西さんは見届けました。久保会長によれば、今西さんは「クラブの黎明期よりスタジアム誘致に向けて共に走り続けてきた」人です。あの美しいスタジアムの実現にも、今西さんの情熱があったのです。
4月17日、告別式——220人が「オヤジ」を見送る
今西さんの告別式は4月17日午前11時に行われ、約220人が参列しました。
ロアッソ熊本GMの織田秀和さん(元サンフレッチェ広島社長)は弔辞でこう語りました。
「今西さん、やっぱりあなたは紛れもなく教育者だったんですよ。今西さんから受けた数々の教えを思い出しながら噛みしめながらこれからを過ごしていきます」
サンフレッチェ広島OBの吉田安孝さんは「今西イズムはクラブのDNAとして受け継がれている」と述べ、安心して休むよう呼びかけました。
同じくOBの前川和也さんの言葉が、今西さんの教育の本質を突いています。
「答えを教えるのではなく、中身を教えて自分で答えを見つけていくことを教えてもらった」
4月18日、Eピースで——今西さんに捧ぐ勝利
告別式の翌日、第11節。エディオンピースウイング広島に長崎を迎えました。
黙祷、喪章、横断幕、そして今西コール。サポーターの想いが詰まった試合でした。
前半10分、鈴木章斗の先制ゴール。後半7分、加藤陸次樹の追加点。シュート23本、xG2.74。35日ぶりの90分勝利を、今西さんに捧げました。
でも、今西さんが見ていたのは、きっとスコアだけではないと思います。
広島と長崎——世界でたった二つの被爆地のクラブが、「ピース」の名を冠したスタジアムで素晴らしい試合をしたこと。今西さんが育てた高木琢也が長崎の監督として堂々と戦い、今西さんが作ったサンフレッチェが正々堂々と勝ったこと。Jリーグがここまで進歩し、こういう試合ができるようになったこと。
今西さんの目線の先には、常にサッカーの向こう側にある「人として」「社会人として」の姿がありました。サンフレッチェが素晴らしいクラブであること、この長崎との一戦がピースマッチと呼ぶにふさわしい好ゲームだったこと。きっと喜んでくださっていると思います。そして、「もっと頑張れ」と励ましてくださっているはずです。
僕たちにできること
今西さんの著書『聞く、伝える、考える。〜私がサッカーから学び 人を育てる上で貫いたこと〜』(2023年、広島アスリートマガジン刊)を、まだ読んでいない人はぜひ読んでほしいです。今西さんの育成哲学がすべて詰まった一冊です。
また、木村元彦さんの『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』(集英社、2017年度広島本大賞受賞、小学館文庫)も、今西さんの人生を知るための必読書です。被爆体験から日本代表、元祖GM、そしてFC岐阜での志半ばの退任まで。文庫版には今西和男×森保一×横内昭展の師弟鼎談も収録されています。
そしてもう一つ。スポニチの連載「我が道」が、2026年2月1日から今西和男さんを取り上げて全27回にわたって掲載されていました。亡くなる直前まで、まさに「我が道」を振り返っていた最中だったのです。この偶然に、言葉を失います。
今西和男さん、ありがとうございました。
あなたがいなければ、サンフレッチェ広島はなかった。森保一もいなかった。日本のGM文化もなかった。そして今夏のワールドカップで森保監督が日本を率いて世界に挑む姿も、あなたが「6人目」として拾ったあの日がなければ存在しなかった。
中国新聞の評伝によれば、今西さんの愛用の自転車は紫色だったそうです。サンフレッチェのチームカラー。最後まで、紫の人でした。
広島の誇りです。どうか安らかに。
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