サッカーにあまり興味がない人たちの不満に、「サッカーはなかなか点が入らない」というのがあります。
「90分戦って、0点って、なんっすか?」と私も、可愛い20代の女性の後輩に言われて事がある。
そういう場合には、ちょっとめんどくさいけど、中世のイングランドにまで歴史を遡ることにしています。
サッカーの原型には、諸説あるのですが……。
11世紀のはじめにイングランドの各地で行われていた、祭りの中でのゲーム、というか祭礼・宗教的な村落対抗の行事として行われていたという説があります。つまり、祭だったのですね。
この祭りの行事は、隣の教会の教区との間の開けた場所で行われたようで、動物の膀胱などをふくらませたものを相手の村の教会の門の内側などに入れるせることを目的に争われたとのこと。
この行事は懺悔節、クリスマス、復活祭といった宗教的祭りの期間に主に行われたそうです。
で、一説によると、動物の膀胱をふくらませたものは、かつて戦って打ちとった敵国の将軍の首のダミーのようなもの、という話もあり。
いずれにせよ、動物の膀胱だろうが、敵の将軍の首のダミーだろうが、そんなものが、自分たちの教会の中へ持ち込まれるなんてことは、絶対にあってはならないことなのです。
だから、みんな必死になって教会を守る。もう、入れられたら、全て終わり。
中世の、宗教が生活の中に今の時代よりももっと一体化していた時代の祭りの中での行事。
自分たちの教会に、動物の膀胱などを入れられる、そんなことは在ってはならない……
このような行事の遺伝子を継いでいるのが、現代サッカーなのですよ。
だから、ゴールを決められてはいけないのです。だから必死に守るのです。相手チームから、ゴールを決められるのなんて、あってはならないことなのです。
サッカーにおいて、相手にゴールを決められることは、つまり相手の1点は、致命傷なのです。この世の終わりなのです。
だから、サッカーにおいて、1点はなかなか入らない。
逆に、攻撃するサイドから考えると。
相手ゴールにボールを叩き込むことは、普段ではなかなか起こらないことを、いろいろ苦労して、最終的には、サッカーの神様が力を貸して、起こしてしまう奇跡なのです。奇跡以外の何者でもないのです。
サッカー観戦に行くということは、奇跡の起こる瞬間を見に行くことなのです。
だから、彼女や彼を、サッカー観戦のデートに誘うときは、「奇跡の起こる瞬間を、見に行こう!」と誘ってみませんか?
って、余計めんどくさい、って言われそうな気もするけど。
p.s.
2014年度、私たちのサンフレッチェ広島は、あってはならないことは、起こさずに、奇跡をたくさん見せてくれることでしょう。
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