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イビチャ・オシム氏の、見送り。美しく、切ない、そして感謝の別れ……青山敏弘選手の見送りに思う(その2)

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青山敏弘選手の、代表合宿出発の広島駅の見送りから、いろいろ思いつくことを書く3回シリーズ、本日は2回目。
私たちサンフレッチェ広島にも、多大な影響を及ぼしているイビチャ・オシム氏のことについて、書いてみたいと思います。
空港オシムポートレイト

イビチャ・オシム氏の見送り。それは、これ以上ない、感謝の見送り

オシムが代表監督になると聞いた時には、僕は、猛烈に嬉しかった。
ジェフの監督になってくれた事自体が奇跡だったし(ジェフだから奇跡、というのではありません。オシムが日本にやってきてくれて、仕事をしてくれるということが奇跡だと思っています)、そのオシムが代表監督になるとは……。
オシムの「考えながら走る」は、ずっと僕の生き方の基本(できてないけど)になっています。
そのオシムが倒れた時は。ショック以上のものでした。当時の川淵氏の、「大丈夫かと言ったレベルではなく、命が続くかどうかといったレベルの問題だ」という内容を聞いた時は、オーバーではなく膝から崩れ落ちました。
しかし、医療団の適切な処置とオシム氏に与えられた運命なのか、命はつながり、完全復帰とは行かずとも、とにかく、動けるし喋れるし、あの復活もとにかく嬉しかったことを覚えています。
残念なのは、オシム氏が倒れないで代表監督を務めていたら……。日本代表の実力派、現状の2倍は強くなっていたのではないか、と思います。2倍がオーバーなら、1・5倍。
オシム氏が監督をやめなければならなかったため、日本代表のサッカーは、50年遅れたと思いますし、その遅れは、恐らく永遠に取り戻せないでしょ。
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そのオシム氏が、日本を離れる日

2009年1月4日、オシム氏は、夫人と一緒に、ひっそりと日本を離れるはずだった。
オシム氏ほどの人でも、日本の代表監督としてFIFAワールドカップを戦えなかったことは、悔しかったと思う。命を落としそうになったこと、それでも命はつながり、日本での仕事をとりあえず終えて日本に別れろ告げる。いろんな思いが去来しつつも、それでも飛行機に乗り込む時は、淡々と、クールに。あくまでもオシム流でいくはずだった。
ところが、そうは行かなかった。
オシム氏は、そこに、信じられない光景を見た。
何と、成田空港に、オシム氏を見送るために300人のファン・サポが集まったのだ。
その中心メンバーはジェフ千葉市原のファン・サポたち。
僕は、このオシム氏の見送りの話を思い出したり、書いたりすると、いつも泣きそうになる。つまり今も泣きそうになって書いているのですが。
オシム氏を1人で帰す訳にはいかない。寂しい思いをさせてはいけない。失意のかけらも感じさせてはいけない。そして何より、ジェフを変えてくれた、日本のサッカーの可能性を見せてくれた、ジェフと日本のサッカーを愛してくれたことへの感謝を伝えなければいけない。そういう思いで、見送った人たちは成田に駆けつけたのだ。
ファンに囲まれるオシム
オシムも、見送りメンバーも、お互いの心はつながって、感謝の気持ちで溢れていただろう。その瞬間、オシムと見送りメンバーの心は、永遠につながった。
僕も、この時の見送りのメンバーには、猛烈に感謝している。きっと、僕の、オシムに対する感謝の気持も少しは伝わったと思うから。
この時の見送りは、おそらく、もう、会えないだろう見送り。会えても、かつてのようには親密にできないだろう。でも、胸の中にある感謝の想いは何としても、伝えたい、そういう熱い熱い、見送りだった。

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